平安時代の山城國の刀工「五条国永」作の太刀
反りが強く、五条国永の最高傑作
名前の由来は失われた拵に鶴丸の模様があったためと言われているが不明
北条貞時がこの刀欲しさに安達貞泰の墓を暴いたという説がある
現在では御物として宮内庁が管理している
鎌倉時代中期に活躍した山城国の粟田口吉光作と伝わる無銘の長脇差
もとは薙刀だったと言われている
名前の由来は斬る真似をしただけで相手の骨まで砕いてしまったためとされている
1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火で被災して焼刃となり、3代越前康継によって修復
現在は豊国神社の所有であり京都国立博物館に寄託されている
鎌倉時代中期に活躍した山城国の粟田口吉光作の短刀
名前の由来は元幅の幅が他の刀剣と比べるとかなり厚いことから
鎧通し造という形状のため、厚みがある造りとなっている
1955年6月22日に重要文化財に指定され、1956年6月28日に国宝に指定された
現在は東京国立博物館にある
二字国俊作の在銘の唯一短刀
名前の由来は、茎に愛染明王の図が彫られているため
旧国宝であったものの、現在は重要文化財に指定されている
現在は大阪府茨木市の株式会社ブレストシーブが所有しており
日本刀剣博物技術研究財団が保存に関与している