ねぎさむにだ伝説

【 幼少期 】

2002年、9月8日。フィリピンのマニラ市内病院にて生まれる。生まれた瞬間からその少女は常人ではあり得ないほどのカリスマオーラを纏っていったと当時の担当の助産師は語った。彼女が眠る新生児室には彼女を一眼見るために常に人の出入りが絶えなかったという。中には彼女を我が養子にと声をあげる者もいたようだ。

2004年 彼女は両親のもとで蝶よ花よと育てられ愛らしさがさらに際立っていた。ご近所で彼女の存在を知らないものはいないだろう。母と散歩しているときは道ゆく人々に挨拶をされ、それに健気に返す様子が見られる。しかし母はフィリピン人、父は日本人。日本で暮らした方が彼女にとっていいだろうと判断した両親は引っ越しを決意する。近所の人々は彼女が引っ越すことを大変残念がり、飛び立つ前日には送別会が開かれた。彼女はもらったプレゼントを持ち日本へと旅立っていった。

2008年4月 彼女は神奈川県の自然に囲まれた田舎ですくすくと暮らしていくうちに六歳になった。小学校に入学をする。彼女は大変天真爛漫であり活発、人見知りをしない子であった。そして聡明であったため成績は優秀。彼女が学校のプリンセスと呼ばれるにはそう時間はかからなかった。彼女が行く先々にはレッドカーペットが敷かれ、彼女が退屈しないようにと毎日のようにお遊戯会が行われた。彼女の周りの人々は彼女を崇拝し敬愛していた。
11月 彼女に弟ができる。彼女の弟も彼女同様に生まれた瞬間から光り輝いており病院にて一眼置かれる存在となっていた。

【 少年期 】





























2015年 中学校に入学。優れた身体能力を生かしバスケットボール部に入部する。彼女は特定のスポーツを重点的にやるということは今までなかった。ほんの少しピアノをかじっていたくらいだ。少し人より弾けるくらいだが彼女が弾くことによって人々は涙を流した。まるで辛子スプレーをもろに食らったかのような涙の量であった。レッスンは一対一であり、教室の目の前がそろばん教室だったので彼女の音色を聴き涙を流しながら算盤を弾く音が響いているのが日常風景であった。そんなことは置いておいて、彼女はバスケットボールを授業でほんの少し触ったくらいであった、期待と不安を胸に練習に励んでいった。練習を重ねるうちに上達していきスタメンに選出されるまでになった。一年生にしてスタメンに入り、新人戦では見事優勝を飾った。

2016年 彼女は副部長に選ばれチームを支えていった。部長にならなかったのは彼女に責任重大なことを押し付けるのは恐れ多いと、しかしチームをぜひ導いてほしいという願いから副部長なのだ。 彼女のポジションはセンター、背番号五番。彼女のプレイスタイルは異質であった。 彼女は動かない。ボールも持たない。しかし、強者。彼女のオーラに圧倒され相手チームが怯み足がすくみプレイにならないのだ。彼女はバスケットボール界の神になった。